2009年 05月 12日
モーリッツ
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今日は、ドイツ学校に行く前に、クラウスの画廊に寄り道をして、おしゃべりを楽しみしました。
2年8ヶ月前にシュリと一緒にエッセンに越してきた当時は、友達は誰もいませんでした。しぃちゃんも、その頃は、エッセンで暮らすことを想像もせずに東京でバリバリと仕事をこなしていました。(笑)
”神戸で、いっぱい働いたからエッセンでのんびりと過ごしたら。”と言うヨッヘンの言葉に甘えて、ほんとにのんびりと過ごしていました。その頃は、ドイツ語学校にも行ってなかったので、ドイツ語は全く話せず、そして、時間がたっぷりあったので、とにかくシュリと一緒にあちこちと、よく散歩をしていました。
友達がいない、言葉が話せない、地域の情報を知らないと、ないないづくしの生活は、私を怖いもの知らずにさせる不思議な何かがあって、まるで冒険のようでした。いくらエッセン生まれのエッセン育ちでも、そこからそこまでの距離でも車を使う車人間のヨッヘンよりも、私の近所の情報が増えたのは時間の問題で、悔しがるヨッヘンをしり目にシュリと冒険を続けていきました。
増えたのは、地域の情報だけでなく、犬友達も増えて行きました。愛犬家は万国共通で、すれ違いざまに声を掛け合うようになり、立ち話も自然発生するのですが、とりあえず何を聞かれても、
”私は、私の犬と一緒に日本から来ました。私の犬は雄で4歳。名前はシュリ。”と、まるで壊れた蓄音器のように繰り返してました。(笑)
そんな時に、黒のミニシュナのモーリッツと散歩をしているサスペンダーの似合う初老の紳士のクラウスに出会いました。大体、時間と場所によってどのワンちゃんに会うというのがわかってきたので、クラウスと話がしたくなったら、時間と場所を狙って散歩をするようになりました。
そして、クラウスの画廊が私の家のすぐ近くにあると知ってからは、画朗を訪れて午後のコーヒーとケーキを楽しみながら、私の話をよく聞いてもらいました。時には、理解できないヨッヘンの気持ちを話すと、クラウスは、私の心を見透かすかのように、”君の気持ちはよくわかるよ”と、いつも笑って言いました。その時の私は、どちらが正しいと言うのではなくて、”君の気持ちがよくわかる。”という一言が必要だったのだと思います。そして、更にクラウスの言葉は続いて、”でも、君の気持ちは、ヨッヘンに言わないと伝わらないよ。だから、僕に話すみたいに、ヨッヘンに話してごらん。”の言葉にうなづく私。十分に大人な年齢の私も、クラウスからドイツにおける男女の機微について学んだのでありました。そして、その横で遊んでいるモーリッツとシュリの姿を見るのも楽しくて、クラウスの画廊は心のオアシスになりました。
そして、2年前のある日、ヨッヘンと一緒にシュリの散歩をしていたら、モーリッツと散歩をしているクラウスに会いました。そして、その時になぜかクラウスが、ヨッヘンに、”ねぇ、ヨッヘン、知ってる?僕達が飼っているミニシュナは永遠に死なないんだ。だから、僕達も長生きが出来るように健康に気をつけないといけないよ!”と笑いながら言いました。
そう言って笑い合っていたのに、その言葉の数日後に、突然モーリッツが天国に逝ってしまいました。あまりにも突然で、クラウスの悲しみを思うとかける言葉も見つからなかったのですが、モーリッツが初めて私達の友達になってくれたことの感謝の気持ちをクラウスに伝えました。クラウスの慟哭は忘れることは出来ないでしょう。あの悲しみから2年が経ちました。そして、去年と同様にモーリッツを偲んでクラウスの画廊で”Animal Gallery"が開かれます。
準備で忙しいクラウス。今日もサスペンダーが決まってます。
10才のモーリッツは、ほんとに賢くて落ち着きがあって、いつも余裕でシュリの遊び相手になってくれました。ありがとう!
そして、モーリッツがいなくなって1年後に、動物シェルターから迎えた新しいクラウスの家族のジョン。いつも前足を交差して寛いでいます。
クラウスの画廊の窓には、モーリッツがいます。
”Animal Gallery"の招待状には、クラウスとモーリッツのこの絵が表紙になっています。
モーリッツを亡くして以来、別れ際に、”またね!”と言うと、クラウスは必ず”君のシュリを大事にしてね。”と、言います。
2年8ヶ月前にシュリと一緒にエッセンに越してきた当時は、友達は誰もいませんでした。しぃちゃんも、その頃は、エッセンで暮らすことを想像もせずに東京でバリバリと仕事をこなしていました。(笑)
”神戸で、いっぱい働いたからエッセンでのんびりと過ごしたら。”と言うヨッヘンの言葉に甘えて、ほんとにのんびりと過ごしていました。その頃は、ドイツ語学校にも行ってなかったので、ドイツ語は全く話せず、そして、時間がたっぷりあったので、とにかくシュリと一緒にあちこちと、よく散歩をしていました。
友達がいない、言葉が話せない、地域の情報を知らないと、ないないづくしの生活は、私を怖いもの知らずにさせる不思議な何かがあって、まるで冒険のようでした。いくらエッセン生まれのエッセン育ちでも、そこからそこまでの距離でも車を使う車人間のヨッヘンよりも、私の近所の情報が増えたのは時間の問題で、悔しがるヨッヘンをしり目にシュリと冒険を続けていきました。
増えたのは、地域の情報だけでなく、犬友達も増えて行きました。愛犬家は万国共通で、すれ違いざまに声を掛け合うようになり、立ち話も自然発生するのですが、とりあえず何を聞かれても、
”私は、私の犬と一緒に日本から来ました。私の犬は雄で4歳。名前はシュリ。”と、まるで壊れた蓄音器のように繰り返してました。(笑)
そんな時に、黒のミニシュナのモーリッツと散歩をしているサスペンダーの似合う初老の紳士のクラウスに出会いました。大体、時間と場所によってどのワンちゃんに会うというのがわかってきたので、クラウスと話がしたくなったら、時間と場所を狙って散歩をするようになりました。
そして、クラウスの画廊が私の家のすぐ近くにあると知ってからは、画朗を訪れて午後のコーヒーとケーキを楽しみながら、私の話をよく聞いてもらいました。時には、理解できないヨッヘンの気持ちを話すと、クラウスは、私の心を見透かすかのように、”君の気持ちはよくわかるよ”と、いつも笑って言いました。その時の私は、どちらが正しいと言うのではなくて、”君の気持ちがよくわかる。”という一言が必要だったのだと思います。そして、更にクラウスの言葉は続いて、”でも、君の気持ちは、ヨッヘンに言わないと伝わらないよ。だから、僕に話すみたいに、ヨッヘンに話してごらん。”の言葉にうなづく私。十分に大人な年齢の私も、クラウスからドイツにおける男女の機微について学んだのでありました。そして、その横で遊んでいるモーリッツとシュリの姿を見るのも楽しくて、クラウスの画廊は心のオアシスになりました。
そして、2年前のある日、ヨッヘンと一緒にシュリの散歩をしていたら、モーリッツと散歩をしているクラウスに会いました。そして、その時になぜかクラウスが、ヨッヘンに、”ねぇ、ヨッヘン、知ってる?僕達が飼っているミニシュナは永遠に死なないんだ。だから、僕達も長生きが出来るように健康に気をつけないといけないよ!”と笑いながら言いました。
そう言って笑い合っていたのに、その言葉の数日後に、突然モーリッツが天国に逝ってしまいました。あまりにも突然で、クラウスの悲しみを思うとかける言葉も見つからなかったのですが、モーリッツが初めて私達の友達になってくれたことの感謝の気持ちをクラウスに伝えました。クラウスの慟哭は忘れることは出来ないでしょう。あの悲しみから2年が経ちました。そして、去年と同様にモーリッツを偲んでクラウスの画廊で”Animal Gallery"が開かれます。
準備で忙しいクラウス。今日もサスペンダーが決まってます。
10才のモーリッツは、ほんとに賢くて落ち着きがあって、いつも余裕でシュリの遊び相手になってくれました。ありがとう!
そして、モーリッツがいなくなって1年後に、動物シェルターから迎えた新しいクラウスの家族のジョン。いつも前足を交差して寛いでいます。
クラウスの画廊の窓には、モーリッツがいます。
”Animal Gallery"の招待状には、クラウスとモーリッツのこの絵が表紙になっています。
モーリッツを亡くして以来、別れ際に、”またね!”と言うと、クラウスは必ず”君のシュリを大事にしてね。”と、言います。
by mitshuri
| 2009-05-12 22:51
| 生活
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