2011年 01月 06日
上げ膳据え膳
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楽しい時間は、ほんとにあっという間に過ぎていきます。一帰国をする度にそう思います。きっと、それは、滞在日数に関係なく、楽しければ楽しいほど、そう思うのでしょうね。そして、今回、初めて長男夫婦宅にて滞在した2週間の一時帰国は、ほんとに楽しくて、神戸に帰って来る前から、別れの朝が、きっと辛くなるだろうなと覚悟はしていたものの、ほんとに寂しいです。長男夫婦が念願のマイホームを手に入れた時に、”これからは、ヨッヘンと一緒に神戸に帰ってきた時は、今までみたいにホテルに泊まらんと、うちで泊まったらええからね。”と、嬉しい言葉をかけてもらっていたのですが、その反面、自分が嫁の立場だったら、2週間義理の母親と、そして途中から日本語が話せないヨッヘンも合流して一緒に過ごすのは、しんどいのでは?と思ったのですが、それでも年越しだけは一緒に過ごしたかったので、”新年が明けたらホテルに泊まるわ。”と、長男に言ったところ、”親子やないか!何を水くさいこと言っとんねん。”と、一喝され、素直に長男夫婦の好意に甘えさせてもらいました。そう言えば、3年前の年末年始には長男夫婦が新婚旅行として、エッセンの我が家に遊びに来てくれたのですが、その時も、ほんとに楽しかったので、私らしくない変な気の遣い方をするのはやめにしたところ、ほんとに楽しく過ごせました。
外出先から家に帰ると、ぬくぬくの炬燵が待っています。そして、毎朝、一緒にワイドショーを見ながら、好き勝手なコメントを述べるのも楽しいし、みんなで一緒にお笑い番組を見るのもほんとに楽しいです。ヨッヘンは、今年もイモトに大ウケし、私は、マツコ.デラックスやミッツ.マングローブや楽しんごをテレビで見れて大満足です。大晦日には、紅白のトップバッターの浜崎あゆみのウェディングドレス姿を見てから、ダウンタウンの”笑ってはいけない”も、途中でダレながらも見ました。私は、やっぱり宮川大輔が好きです。そんな感じで、いや、ほんまに楽しかったです。
見送る時も見送られる時も、笑顔でと心がけているのですが、予想通りと言うか、今回ばかりは、そうはいきませんでした。それは、すでに、年明けの3日に、みんなで食事をした時にその前触れがありました。何を思ったのか、二男が突然、”オカン、怪我や事故には、くれぐれも気をつけてよ。病気せんように体調管理をしっかりしてよ。オカン、死なんといてよ!ヨッヘン、オカンのことを守ったってな。”と、言いました。二男の言葉は更に続いて、”ず~っと、帰ってこんでええけど、2ヶ月に1回、神戸に帰ってきてな!”と、言いました。そんな二男の言葉を聞いて、私の心がわさわさし始めました。二男の言わんとする気持ちがほんとによくわかるからです。私も今まで、ず~っと、母はいつも元気と思っていたのですが、久しぶりに母に会って、母の老いを感じた時は、ほんとに寂しく思います。きっと、二男も私の中の老いを感じて、そう思ったのだと思います。そして、食事が終わって、みんなで二男一家を見送った時に、
貫太朗を自転車の荷台に乗せて、親子3人が走って行く姿を見ていると、私の心のわさわさが、騒ぎだしたと思ったら、勝手に涙が流れてきて止まらなくなってしまって、さぁ、大変!
また貫太朗としばらく会えないという寂しさ以上に、あの頼りなかった二男が父親になって、今では、それなりに父親として時には貫太朗を叱ったり、そして、夫として、手のあいた時には、料理を作ったりと、若い夫婦が貫太朗を囲んで、協力しあいながら、家庭を築いている姿を見ていると、嬉しさや、安心感やいろんな気持ちがまざって、言葉では言い表せない気持ちになりました。
その気持ちは、長男夫婦に対しても同じです。
長男夫婦は、甘い言葉を囁いたり、チューチューはしませんが、2人の間で交わされる会話の中で、しょっちゅう”ありがとう!””これ、お願いできる?”そして、”ごめんね!”の言葉がほんとによく出てきます。私も見習わないとって思うぐらい、はたで見ていても気持ちが良いし、一緒に過ごしていると、私まで伝染して”ありがとう!”の言葉が同じように出てきます。そして、長男も食事の準備や後片付け、洗濯の手伝いをしています。長男も二男も、神戸で一緒に生活をしていた時は、縦の物を横にも動かさなかったのに、良い意味でのその変貌ぶりにオカンもビックリ!長男や次男のように、結婚してこれだけ変わった男友達は、私の周りにはいません!でも、その姿は、ほんとに微笑ましくて、これからもお互いに協力し合って暮らしていくんだろうなと思うと、息子達の成長に、私がついていイケてないようにも思います。(笑)
私達よりも先に仕事に向かう長男は、”大丈夫やと思うけど、もし、ドイツで寂しくなったり、辛いことがあったら、いつでも電話をしてきてな。”の言葉を残して、仕事に行きました。そして、迎えに来たMKタクシーに乗り込む前に、ちゃんと真知子ちゃんにお礼を言おうと思ったのに、涙が止まらなくて言葉になりませんでした。毎日の朝ごはんと晩ごはんの献立を考えて美味しい手料理を作ってくれたこと、お風呂に入る時には、白浜、草津と、毎日いろんな入浴剤でお風呂の準備をしてくれたこと、そして、スーパーが近くにあるのでいつでも行けると思っている内に、結局買い物が出来ず、直島から帰って来ると、私のスーツケースの横に、マヨネーズやお茶の葉っぱや、出汁パックや調味料やお菓子が入った袋がこっそり置かれてありました。そんな真知子ちゃんの優しさと気遣いには、感謝の気持ちでいっぱいです。そして、ヨッヘンに泣きながら、”ヨッヘン!ここはヨッヘンとお義母さんの日本の家だから、いつでも遊びに来てね!”と言う真知子ちゃんの言葉を聞いたら、また泣けてきました。この2週間、揚げ前据え膳で、すっかり甘えさせてもらいましたが、次回はオカン、そしてお義母さまらしく、邪魔にならん程度に私も家事のお手伝いをしようと固く心に誓いました。
2ヶ月に1回は無理だけど、体力の続く限り、貫太朗に会う為に神戸に帰ってきます。
何回も貫太朗にチューをしてもらいましたが、最後には柔らかい貫太朗の頬っぺたに私が何回もチューをしました。ありきたりな表現ですが、家族って、1本の木のように思います。長男夫婦と二男夫婦と貫太朗、そして、遠くない将来に、シャラポワ嬢も家庭を持って、子供達が自立をした時に、それぞれ枝分かれをして、美しい花を咲かせていきます。時には、雨や風や嵐で、花びらが飛び散ってしまったり、花が枯れてしまうこともあるでしょうけれど、それでも、水を与え続け、お日さまの光で、また美しい花を咲かすことが出来ます。子供達が咲かせた花が、散ったり、枯れたりしないように、親である私達が、しっかりと大地に根を張って、少々の雨風でも倒れることなく支えられる太い木になれるよう、私も地に足をしっかりつけて生活をしようと、改めて、そう思いました。
一時帰国中の2週間の食い倒れ日記に最後まで、おつきあい下さってありがとうございました。明日からは、いつも通りのシュリとティンティンのおしゃべりブログに戻りますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
外出先から家に帰ると、ぬくぬくの炬燵が待っています。そして、毎朝、一緒にワイドショーを見ながら、好き勝手なコメントを述べるのも楽しいし、みんなで一緒にお笑い番組を見るのもほんとに楽しいです。ヨッヘンは、今年もイモトに大ウケし、私は、マツコ.デラックスやミッツ.マングローブや楽しんごをテレビで見れて大満足です。大晦日には、紅白のトップバッターの浜崎あゆみのウェディングドレス姿を見てから、ダウンタウンの”笑ってはいけない”も、途中でダレながらも見ました。私は、やっぱり宮川大輔が好きです。そんな感じで、いや、ほんまに楽しかったです。
見送る時も見送られる時も、笑顔でと心がけているのですが、予想通りと言うか、今回ばかりは、そうはいきませんでした。それは、すでに、年明けの3日に、みんなで食事をした時にその前触れがありました。何を思ったのか、二男が突然、”オカン、怪我や事故には、くれぐれも気をつけてよ。病気せんように体調管理をしっかりしてよ。オカン、死なんといてよ!ヨッヘン、オカンのことを守ったってな。”と、言いました。二男の言葉は更に続いて、”ず~っと、帰ってこんでええけど、2ヶ月に1回、神戸に帰ってきてな!”と、言いました。そんな二男の言葉を聞いて、私の心がわさわさし始めました。二男の言わんとする気持ちがほんとによくわかるからです。私も今まで、ず~っと、母はいつも元気と思っていたのですが、久しぶりに母に会って、母の老いを感じた時は、ほんとに寂しく思います。きっと、二男も私の中の老いを感じて、そう思ったのだと思います。そして、食事が終わって、みんなで二男一家を見送った時に、
貫太朗を自転車の荷台に乗せて、親子3人が走って行く姿を見ていると、私の心のわさわさが、騒ぎだしたと思ったら、勝手に涙が流れてきて止まらなくなってしまって、さぁ、大変!
また貫太朗としばらく会えないという寂しさ以上に、あの頼りなかった二男が父親になって、今では、それなりに父親として時には貫太朗を叱ったり、そして、夫として、手のあいた時には、料理を作ったりと、若い夫婦が貫太朗を囲んで、協力しあいながら、家庭を築いている姿を見ていると、嬉しさや、安心感やいろんな気持ちがまざって、言葉では言い表せない気持ちになりました。
その気持ちは、長男夫婦に対しても同じです。
長男夫婦は、甘い言葉を囁いたり、チューチューはしませんが、2人の間で交わされる会話の中で、しょっちゅう”ありがとう!””これ、お願いできる?”そして、”ごめんね!”の言葉がほんとによく出てきます。私も見習わないとって思うぐらい、はたで見ていても気持ちが良いし、一緒に過ごしていると、私まで伝染して”ありがとう!”の言葉が同じように出てきます。そして、長男も食事の準備や後片付け、洗濯の手伝いをしています。長男も二男も、神戸で一緒に生活をしていた時は、縦の物を横にも動かさなかったのに、良い意味でのその変貌ぶりにオカンもビックリ!長男や次男のように、結婚してこれだけ変わった男友達は、私の周りにはいません!でも、その姿は、ほんとに微笑ましくて、これからもお互いに協力し合って暮らしていくんだろうなと思うと、息子達の成長に、私がついていイケてないようにも思います。(笑)
私達よりも先に仕事に向かう長男は、”大丈夫やと思うけど、もし、ドイツで寂しくなったり、辛いことがあったら、いつでも電話をしてきてな。”の言葉を残して、仕事に行きました。そして、迎えに来たMKタクシーに乗り込む前に、ちゃんと真知子ちゃんにお礼を言おうと思ったのに、涙が止まらなくて言葉になりませんでした。毎日の朝ごはんと晩ごはんの献立を考えて美味しい手料理を作ってくれたこと、お風呂に入る時には、白浜、草津と、毎日いろんな入浴剤でお風呂の準備をしてくれたこと、そして、スーパーが近くにあるのでいつでも行けると思っている内に、結局買い物が出来ず、直島から帰って来ると、私のスーツケースの横に、マヨネーズやお茶の葉っぱや、出汁パックや調味料やお菓子が入った袋がこっそり置かれてありました。そんな真知子ちゃんの優しさと気遣いには、感謝の気持ちでいっぱいです。そして、ヨッヘンに泣きながら、”ヨッヘン!ここはヨッヘンとお義母さんの日本の家だから、いつでも遊びに来てね!”と言う真知子ちゃんの言葉を聞いたら、また泣けてきました。この2週間、揚げ前据え膳で、すっかり甘えさせてもらいましたが、次回はオカン、そしてお義母さまらしく、邪魔にならん程度に私も家事のお手伝いをしようと固く心に誓いました。
2ヶ月に1回は無理だけど、体力の続く限り、貫太朗に会う為に神戸に帰ってきます。
何回も貫太朗にチューをしてもらいましたが、最後には柔らかい貫太朗の頬っぺたに私が何回もチューをしました。ありきたりな表現ですが、家族って、1本の木のように思います。長男夫婦と二男夫婦と貫太朗、そして、遠くない将来に、シャラポワ嬢も家庭を持って、子供達が自立をした時に、それぞれ枝分かれをして、美しい花を咲かせていきます。時には、雨や風や嵐で、花びらが飛び散ってしまったり、花が枯れてしまうこともあるでしょうけれど、それでも、水を与え続け、お日さまの光で、また美しい花を咲かすことが出来ます。子供達が咲かせた花が、散ったり、枯れたりしないように、親である私達が、しっかりと大地に根を張って、少々の雨風でも倒れることなく支えられる太い木になれるよう、私も地に足をしっかりつけて生活をしようと、改めて、そう思いました。
一時帰国中の2週間の食い倒れ日記に最後まで、おつきあい下さってありがとうございました。明日からは、いつも通りのシュリとティンティンのおしゃべりブログに戻りますので、どうぞ、よろしくお願い致します。
by mitshuri
| 2011-01-06 23:59
| 生活
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